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by yame-hd
| 2017-02-05 19:13
幕末維新の開明思想家として知られる横井小楠の旧居。内坪井(現在の熊本市坪井)に生まれ、安政2(1855)年に沼山津に移り住んだ小楠は、家塾「四時軒」を開き、多くの門弟を養成しました。 かの坂本龍馬(さかもとりょうま)や「五か条の御誓文」を起草した由利公正(ゆりきみまさ)、「教育勅語」の起草に尽力した元田永孚(もとだながざね)、「大日本帝国憲法」の草案をつくった井上毅(いのうえこわし)らもこの「四時軒」を訪れています。 「四時軒」の隣りには横井小楠記念館が建てられており、小楠に関する資料のほか、勝海舟(かつかいしゅう)や吉田松陰(よしだしょういん)、西郷隆盛(さいごうたかもり)などの、小楠にゆかりのある人々の書も展示されています。 また、「四時軒」から北東方向へ10分ほど歩いたところに、小楠の銅像や頌徳碑(小楠の徳をたたえる碑)などが建てられている、小楠公園もあります。 14日の前震の際に私が連絡した時点では軽傷ですんだとの事であったが、16日深夜に起こったM7の本震で倒壊してしまった。 熊本城の被害は深刻であるが多くの熊本の名勝が地震で破壊された事に心が痛みます。 2016年4月14日以降の一連の地震により被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。 言葉が見つかりませんが、皆様の安全と健康、一日も早い復旧・復興を心より願っています。 #
by yame-hd
| 2016-09-14 09:42
桜の名所として有名な神野(こうの)公園。その中にある「隔林亭(かくりんてい)」は、佐賀藩十代藩主鍋島直正(閑叟公)の茶室として建てられたものです。当時は、フルベッキや大久保利通が来訪するなど佐賀の迎賓館的機能を有していましたが、老朽化のため1960年解体されました。20数年後「隔林亭文書」が発見され、わずか一枚の写真と古図をもとに、平成5年に復元されました。多布施川から清流を引いた池、松や梅などの緑が鮮やかな池泉回遊式の庭園が趣深いものです。現在は茶会も開かれ、市民の憩いの場として親しまれています。 (佐賀県観光連盟より) 幕末・明治の政治家。佐賀県生。名は胤雄、号を南白。法制関係の官職を歴任。司法卿となり、司法権の独立・警察制度の統一をはかり、改定律例を制定。のち参議となり征韓論を主張するが、受け入れられず辞職。佐賀の乱の首領となるが、政府に逮捕された。明治7年(1874)歿、41才。 #
by yame-hd
| 2016-06-02 11:00
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